2006年11月4日(土) ― 5日(日) |
アンドレイ・タルコフスキーの映画においては水がしばしば重要なモチーフとして使用され、時に物語そのものとなって映像を紡いでいく。雨が降る、雨が止む。しずくが垂れる、しずくが止まる。温泉が湧く、温泉が枯れる…。タルコフスキーの「水」はonとoffを繰り返しながら流れることをやめない。 旧天王貯水池に一歩足を踏み入れる。不思議なことにそこが決して「off」の状態であるとは感じない。もちろんすでに役割を終えた構造物であるから「on」の状態であるはずがない。しかしこの建築空間がもつ固有の強度は決して「off」であることを自らに選択させない。現実と非現実、あるいは日常と非日常といったものの「はざま」、やわらかい中間領域がそこにある。 今回、建築家の青井によって紡がれた4つの眼差しがonとoffの間を強調する表現力となってこの空間に現れる。陳はOHPを利用して水面に浮かぶ気泡を極めてフラットな映像として投影することで、2次元と3次元の中間を鑑賞者に提示する。片桐と池側はそれぞれいけばなと照明というメディアを用いて、連続する10の小部屋の始まりと終わりをあるいは終わりと始まりを現出させる。そして曽我部は水の連続性を音によって表現することで、空間が今も持つ水との親和性を体感させる。 天王貯水池を去るときに、目の前にある日常に非現実感が漂うかもしれない。ぜひそんな体験をお楽しみ下さい。 |
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