キャラクターアニメーションと空間インスタレーション
2人のコラボレーションはアニメーションの物語から、人物と背景を分離してみることから始まります。劉は人物のアニメーション映像を壁に映写しますが、陳は会場に配置される実物セットを通して物語の背景を演出します。
人物の動作――ハミガキ、タメイキ…など――は日常体験の記憶喚起に用いられたある種の記号と考えてよいでしょう。人々が共通する日常体験の記憶だからこそ、数本の線で描かれたキャラクターから複雑な感情、息、性格、生命そのものまで伝わって、共鳴されるのです。よく考えれば、肉体という実体を持たないこの少女(キャラクター)が私たちに語りかけてくるものは不思議なほど多くあるはずです。
物語の展開は人物の動作のみによって説明されると思われがちですが、背景も環境設定の説明にとどまるのではありません。そこに置かれている変哲のない椅子は「椅子」としか見えないのはなぜでしょう。もし座面に髪の毛や血痕を発見したら、想像によれば生命の痕跡や人間の気配をすら感じ取れるのでしょう。人は物事をとらえる時に言語以上の様々な記号を応用して解読するとも考えられますが、「記憶」は果たしてそれらの記号の綴りだけなのでしょうか。記号にならならずに直感として記憶されることはあるのでしょうか。
壁に映るアニメーションを見て、会場に現れる物に触れたりすれば、我々は物語を読み解くよりも、まるで記憶の断片を拾ってオリジナルの物語を作りあげていくのでしょう。
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