Solo Exhibition | TANJC https://tanjc.net Art & Design Thu, 21 Jun 2018 16:53:17 +0000 en-US hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.8.11 https://tanjc.net/wp-content/uploads/2016/05/cropped-logo-tanjc-32x32.png Solo Exhibition | TANJC https://tanjc.net 32 32 47795112 VICISSITUDE https://tanjc.net/vicissitude/ https://tanjc.net/vicissitude/#respond Tue, 05 Jan 2010 15:32:56 +0000 http://tanjc.net/?p=1268 うつろい

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Solo exhibition”Vicissitude”
「うつろい」個展

光のインスタレーション

Small MUSEUM 2009
2010.1.6 – 1.18
12:00 – 19:00
Gallery Yuragi
ギャラリー 揺(ゆらぎ)

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MAKE LOVE IN 34 SECONDS https://tanjc.net/make-love-in-34-seconds/ Thu, 30 Nov 2006 07:50:16 +0000 http://tanjc.net/?p=1530 恋する34秒

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MAKE LOVE IN 34 SECONDS
恋する34秒

アナログカラーコピー機、A3 コピー用紙 / 参加型インスタレーション / 2006

会場でカラーコピーし放題。
コピーの原稿となるのは、
あなたの顔でも、手でもいい。
同伴がいれば、ぜひ記念にどうぞ。
コピーは現実を複製しない。記録。
色分解されたイメージは、
CMYK四色の重なりで
ふたたび結像する。
版ズレのような結果に わたしは、
そこにあった確かな34秒間をみた。
そのとき わたしは恋をしていた。

7年前に、全国のコンビニにカラーコピー機の設置が普及したごろに、私はある計画の予行練習をしていた。それはカメラを持ち歩かない旅だ。訪れる地でコンビニを見つけ、カラーコピー機で「記念写真」を撮るという単純作業。コインを入れて、顔や手を原稿台のガラス面に当てて、カラーコピーを撮る。コンビニ店員の困惑そうな表情と目線を浴びる中で、そんな不審な行動を続行した。次第に、友人を巻き込んで夜中に集団で駆け込むようになり、コンビニの片隅もカラオケボックスのようにはしゃいで騒ぐ空間と化した。プリクラとは違い、出来上がったコピーの画面上ではほとんどのモチーフが背景の闇へ消えてゆくが、何も映らなくても、私にとってはおかしくて楽しい記念になるのだ。コピーそのものは出来事を複製できないが、このアナログコピーは( 長くもなく短くもない) 約34 秒間の出来事を誘発して、1 枚の紙に記録として思い出を結像する。

Show

2006.11.30 – 12.17 / 陳維錚個展 / shin-bi
2006.11.16 – 11.26 / 懐疑と捏造:アートのジレンマ展 / 京都精華大学ギャラリーフロール

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1530
The Inhabitant Of The System https://tanjc.net/inhabitantofsystem/ Mon, 01 Nov 2004 16:01:50 +0000 http://tanjc.net/?p=1867 制度の住人

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The Inhabitant Of The System
制度の住人

内の人の動きに反応して点灯する信号機…制度はルールのようにとらえるといい。ルールもなければ、ゲームは楽しめないのだ。

「制度」といえばほとんどの場合は「束縛」を連想するだろう。が、社会をゲームに例えば、制度はルールのようにとらえるといい。ルールもなければ、ゲームは楽しめないのだ。夜中の信号機を前に車を反射的に止めた私はふっと思った:「もしかしたら、赤信号は私を阻止しているのではなく、アドバイスしてくれている?」

「赤」信号を見て足を止める。目の前の信号機が自分に向けて働きかけていると思われる。

そうやって、都会の生活では「制度」そのものが主体になっていく。その中の「住人」が制度に順応するように努める。ルールを無理して守るうちに蓄積するストレスであれ、故意にルールを違反するときの快感であれ、それは「その制度は私を束縛している」ととらえたから生じる結果であろう。

信号機はあなたがそこにいなくても、24時間、信号(指示)を出し続けているのだ。

あなたと同じ、あるリズムを繰り返して毎日を迎えている。
そして、交差点であなたとすれ違う。
このインスタレーションを体験すれば、あなたは信号機との新たな関係を発見できるのだろう。

/インタラクティブ・インスタレーション
/歩行者用信号灯機、超音波動きセンサー、スライド
/H2510XW6500XD13725mm(空間)

show

/陳維錚展(企画個展)
/2004.11.2(火) – 11.13(土) 11:00-19:00
/会場:石田大成社ホール(京都)


デジタルビデオ/6分(1分x6クリップ)

マレーシアの首都、クアラルンプール市の街頭で三脚を構えて交通信号機を撮影した6本シリーズです。フレームで偶然にも捉えた鳥の群れの移動とは対照的に、信号と人々の行動を制動してしまう制度のリズムを暗喩したものです。

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1867
POST https://tanjc.net/post/ Tue, 22 Apr 2003 12:43:25 +0000 http://tanjc.net/?p=1600 境界

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Post
境界

世界(あらゆる存在)は何によって構成されているのだろう。存在の真相を知りたい。物質と精神だけの二元ですべてを説明できるのだろうか。それともリアルに感じている現実の数々がイマージュにすぎないのかもしれない。いや、おそらく我々は哲学を通じて世界の新しい構成要素を発見するのではなく、単に言葉によって成り立つ世界の1つの語り方を見つけ出すのである。私は語り方を見つければそれを表現して検証する。作品を通して見る人と世界観を共有すると同時に、解釈の差異によってお互いの世界を押し広げようと望んでいるのである。自分とはどういう存在なのか、世界とはどんな存在なのか、その問いに答えるような事実は作品にはない。でもヒントやメッセージはどこかに隠されていると思う。

“Existence” Series 「存在」 シリーズ
スポットライト、赤外線センサー、フラッシュライト、絨毯 / インスタレーション / 2500x2900x7000(展示空間)
2003.4.22 – 4.28 / 個展「越境するメッセージ」Message in Progress

黒い暗幕をめくって暗い部屋に入れば、足の先から6メートルの赤い絨毯が続いている。その先にはスポットライトの丸い明かりにあてられた小さなステージがある。ほとんどの来場者は自然にそのまま赤い絨毯の上を歩いて、ステージにあがった。ステージの上に立ったとたんに、スポットライトの明かりは瞬時に消えて、かわって現れるのはランダムに繰り返されるフラッシュだ。気づけば、壁には何も飾られていなくて、自分を囲んでいる(30本もの)カメラ用フラッシュライトの実体さえ目で確認できない。ステージを下りるまで、目に残像が焼きつくほどの光とその後の暗闇をただ1人で体感するのである。

「独我論」をめぐって昔からさまざまな議論がなされてきた。「私に見えるもの(あるいは今見えるもの)だけが真に見えるものである」、「私の意識だけが唯一ほんとうに存在するもので、ほかの一切は私の意識への表れである」という主張が意味するのは「世界とは私、私が存在している」。つまり、もし私が存在しないとすれば、ある意味でそれは、何も存在しないのと同じである。

私の見えるものや意識の外にあるものが存在すると言えるかどうかが、独我論をめぐる最大の問題であった。しかし、哲学者ウィトゲンシュタインは意識主体が無数存在している(1人ではないという)ことを前提に考えた。他者とを区別できるこの「私」がほかの「自我たち」とはまったく違ったあり方をしたのはなぜかという問題である。

世界がどうできているのか、その範囲を知ることは世界の限界を知ること。世界の一つの解釈を知るたびに、私はその限界の「境界」に立つことができるような気がする。しかし、その境界以外のものは何も見えてこないはず。それが限界だから。むしろ、重要なのは限界の境界に立って内側を見ることだろう。

鏡を見るだけでは、我々はまた外皮しか見えないだろう。それも写像にすぎない、実在ではない。

今回の作品はそうした「境界に立つ」ことをイメージした空間である。つまり、あなたは自分の境界を越えて、私の世界へ飛び込むことができないし、私と何か共有できるわけでもない。それぞれの境界は交差しない。なぜなら、同じものを見ても、同じ言葉使って会話を交わしても人はそれぞれ自分の世界の中で自分なりに解釈して、そして受け入れているのだ。新しい知識を身に付けるように、あなたはこの作品を自身が体験、理解と解釈によって自分の限界を広げて、また新たな境界に立つだけのことである。

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