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              「存在」 シリーズ 
              "Existence" Series 
              /インスタレーション 
              /470x450x1680 
              /豚肉、牛血、毛髪、ガラス、スライド 
              /京都精華大学 
               ・映像分野・大学院生展「4 media artists」 
               
            〔人乃血肉之躯〕: 
              人の体は血と肉でできている 
             〔毛髪受之於父母〕: 
              毛髪は父母(宇宙)から与えられたもの(として、切ることを禁ずる) 
              中国古代も精神、思想、思考が操る身体は血と肉で構成されているとされていました。兵士、武士は君主の覇業を達成するために、戦いつづけるために自らの「血肉之躯」を最低限として確保しなければいけないということです。毛髪を生まれてから一生切らずに、辮髪(男子が頭髪を編んで長く後ろへ垂らしたもの)にするのは−−血は流れ、肉は痛む−−という確かな実感から自らの「存在」を掴めたのと同じだと思います。 
             血が流れない平和な社会に生きて、肉も痛まない日々、美容院で毛髪を切る今日の我々は身体をどう意識しているのでしょうか。装飾を身にもまとい、遠距離電話でリアルな声を聞き、スクリーンに映る像を見て泣き…人の「居る」ことに定義がぼやけてきたように思います。それとまた矛盾しているように、皮膚に包まれた血と肉、そして毛髪さえあれば、そこに「居る」ことは掴められるのでしょうか。 
             耳に聞こえ、手に触れ、目に見え−−媒体(メディア)を通して模索していきたいと思います。 
                この場では、豚の肉、牛の血、人の髪を借りて、光を通して確かめることにしています。 
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